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『コロンブスの電磁気学』の概略へ
『コロンブスの電磁気学』増補改訂版の概略へ

『コロンブスの電磁気学』増補改訂版(A4判 831頁 価格:6000円)
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敬愛するマイケル・ファラデー(2

ファラデーの無念とゲーテの箴言(後人達の誤解)

201117

宇佐美 保

 先の拙文≪敬愛するマイケル・ファラデー(1≫同様にファラデー(実験科学の時代)小山慶太著(講談社学術文庫)』の引用を続けさせて頂きます。
(尚、文章だけでは分かりにくいと存じましたので、「電気と磁気のふしぎな世界 著者:TDKテクマグ編集部 発行所:ソフトバンク クリエイティブ株式会社」から、カラー図を転載させて頂きました)

 

1816年、ファラデーは最初の論文を発表、科学者としてデビューした。

ファラデー二十四歳の春である。

 論文のテーマは、デイヴィーから依頼されたトスカナに産する生石灰の分析であった。それは、その後、生み出されるファラデーの輝しい業績を考えると、歴史の中で、あらためて取り上げるほどの意味はないかもしれない。

 しかし、本人にとって、デビュー作″には忘れ難い愛着があるものである。「一人で科学の研究ができるなんて、夢のようであった」と、後にファラデーは、そのときの思いを回顧している。

 こうして、いったん科学者としてのスタートを切ってしまうと、それからのファラデーの加速ぶりは、めざましいものがあった。王立研究所の機関誌に、次々と論文を発表していった。そして、時代は、十九世紀物理学のひとつの転換点となる一八二〇年を迎えた。この年、コペンハーゲン大学教授のエールステッドが電流の磁気作用を発見するのである。

 

 エールステッドは、磁針に平行に置いた導線に電流を通すと、磁針が大きく振れることに気がついた。そこで、導線の種類を白金、金、銀、真鍮、鉄、……といろいろ替えてみたが、同じ結果が得られた。また、磁針と導線の間に、ガラス、金属、木、水、……などを挟んでも、その効果が消失することはなかった。



 こうした結果に対しエールステッド自身が下した解釈は、もちろん、現代の見方とは本質的に異なってはいるが、ともかく、電流そのものに磁気的な作用がみられることが、初めて明らかにされたのである。それまで独立とみなされていた電気と磁気に、実は相関があったわけである。ここに、電磁気学の本格的な幕開けを告げる第一歩が印された。

 ・・・

 

 

 このようなエールステッドの「磁針に平行に置いた導線に電流を通すと、磁針が大きく振れる」と言う現在では一見何の変哲もない実験であり結果ですが、当時は、この実験結果によって小山氏の記述の如く「電磁気学の本格的な幕開けを告げる第一歩が印された」となるのです。

後から考えれば何でもない事が「コロンブスの卵」でもあるわけです。

 

 

エールステッドの論文が発表されたのは、一八二〇年七月であるが、このビッグニュース″はさっそく、エコール・ポリテクニクの教授アラゴーによってパリにもたらされ、九月十一日、フランス科学アカデミーにおいて報告された。そして、アラゴーの報告を聴いていた科学者の中に、前章でデイヴィ一にヨウ素の結晶を手渡したアンペールがいた。

エールステッドの発見に触発されたアンペールは、自らも追試に乗り出し、電流を通した導線の間に力が作用することを、実験によって明らかにした。電流と磁石の間に相関がみられるのならば、電流どうしにも相互作用が確認できるのではないかという発想にもとづいての発見であった。アラゴーの報告からわずか一週間後の出来事である。

 

 

 何しろ、今では当たり前でしょうが、エールステッドの発見は、電気とは全く無縁と思える磁石とに何らかの関係がある事を示してくれたのですから、多くの人達は大いに触発された事でしょう。

 

 

 また、環状の回路に電流が流れると、それは磁石と完全に等価の作用を示すことも明らかにされた。換言すれば、磁気は電気に置き換えられるわけである〈これは後に、ファラデーが電磁誘導を発見するひとつの布石となった)。

 

 

 この「ファラデーが電磁誘導を発見する・・・」に関しては、後に又引用させて頂きます。

 

 

 ところで、フランス革命勃発の前年(一七八八年)、クーロンが静電気の間に働く力の法則を、ニュートン力学にならって、数学で表現していた。万有引力も電気力も、距離の二乗に反比例して変化することを示したのである。

 そこで、当初、アンペールの発見も結局は、クーロンの法則と同義ではないかという指摘が、一部の科学者からなされた。しかし、静電気の場合は、電荷の符号が同種か異種かによって、斥力、引力の違いが生じるが、電流の場合は、それが流れる方向(平行か反平行か)に依存するわけである。したがって、そこには明らかに、本質的な差異がみてとれる。

 このように、現象としての違いはあるものの、電流間に働く力も、最終的にはニュートン力学流の手法に従って、解析学(微積分法)の形式で表わされるとアンペールは考え、それを実践したのである。

 また、その年の秋には、ビオ(ゲイ・リユサックと気球に乗ったフランスの物理学者) とサヴアール(ファラデーと同じ年に生まれた、フランスの物理学者)が、電流が磁石に及ぼす影響を定量的に研究し、その結果を、やはり解析学を用いて記述した。

 こうして、エールステッドがその効果を発見した電気と磁気の相関は、たちまちのうちにフランスの科学者たちの手によって、数理化された体系へと組み込まれ始めた。解析学万能の思想の顕れといえる

 ところで、何事も、それがあまり大手を振って罷りとおると、反発を招くものである。解析学万能の思想に対し、この時代に生きたドイツの文豪ゲーテ(一七四九〜一八三二年)が、次のような箴言(しんげん)を呈している(このゲーテの箴言は次の別枠に掲示させて頂きます)。


ゲーテの箴言

 物理学のいくつかの分野においては数学的な理論や哲学的な理論のおかげで、認識は深化するどころか、かえって停滞させられてしまっているし、また近代の学問的教養が片寄った発展を遂げているために、数学的な方法が本末転倒したかたちで通用してきた。したがって物理学のこうした分野から数学的な理論や哲学的な理論を追放することこそ、われわれの大きな課題であろう

そこで明らかにされなければならないのは、自然研究の真の方法とは何かということであるつまり自然研究をいかにして観察という単純きわまりない過程に依拠(いきょ)させてゆくか、観察をいかにして実験へ高めてゆくか、そして最後にいかにして結論へと導いてゆくかということが問題なのである。(「自然と象徴」冨山房百科文庫)


流石ゲーテです

 

物理学のいくつかの分野が、数学的な理論によって停滞させられており、したがって、そこからは、数学を追放すべきである」というゲーテの表現には──いささか、振り子が振られすぎた──行き過ぎの感があるが、その後の指摘は、十分傾聴に値する内容といえる。数学だけに過剰に頼るのではなく、自然研究の真の方法として、実験をもっと重視せよというゲーテの指摘である。

高度な数学を駆使できるようになるには、それ相当のトレーニングを受けなければならない。たとえば、エコール・ポリテクニクに代表されるような科学者の養成機関で、しかるべき教育を積む必要がある。

しかし、そうであるだけに、ややもすると、数学の計算という一種マニュアル化された枠組みの中に収まってしか、自然を見られなくなってしまうきらいもある。数学は有用であるが、それはあくまでも科学研究の道具であり、目的ではない。道具に縛られ、制約を受けるようになったとすれば、ゲーテのいうように、本末転倒である。

 とりわけ、電磁気学のように、生まれたばかりの若い分野においては、数学もさることながら、自然の中に隠された真理を実験の工夫によって喚ぎ出す能力も、重要な役割を担うことになる。もう少し言えば、時代のこの段階では、数学なんか知らなくても、ファラデーのような天才が活躍する余地は十分にあったのである

 いや、「余地」という表現は、控え目すぎるかもしれない。独学の天才〃は、ゲーテの箴言を地でいくように、科学の発展形態のひとつのパターンを、みごとに、一人で描き上げていくのである。

 

 

 ここでの「ゲーテの箴言」並び、その箴言に対する小山氏の解釈(例えば「時代のこの段階では、数学なんか知らなくても、ファラデーのような天才が活躍する余地は十分にあったのである」)への反論は後に述べるとしまして、氏の著作の引用を続けさせ得て頂きます。

 

 

 電磁気回転の実験

エールステッドは、電流の作用によって磁石が瞬間的に振れる現象を発見したわけであるが、ファラデーはこの効果をさらに一歩進め、電流を通した導線を逆に磁石のまわりに回転させることはできないものかと考えてみた。つまり、電気と磁気の相互作用を利用して、瞬間的ではなく連続的な運動を生じさせる問題に取り組んだわけである。

一八一六年に生石灰の分析に関する処女論文を発表して以来、おもに化学の研究に携わっていたファラデーであるが、ここで、まったく異なる分野に関心を示したのは、エールステッドの発見から受けた衝撃がそれだけ大きかったのであろう。この発見に関連した一連の論文を精読したファラデーは、一八二一年の夏、電磁気学の歴史と現状を概観する解説を『哲学年報』に発表している。

 そうした勉強の成果を基盤に、ファラデーはこの年の九月、次のような装置を考案し、画期的な実験に成功した。

(但し、ここで小山氏が説明されるファラデーの実験内容は、説明図が無いので分かりにくいと存じますから、フリー百科事典ウィキペディアのファダデーの項目の中での「電磁力による回転実験の図」(下にコピーさせて頂きました)をご参照ください)

 

 (上図の右側)水銀を満たした容器の中央に、棒磁石(注:図では丸棒状)を垂直に固定して立てる。磁石の一方の極は、水銀面から少し出るようにしてある。次に、コルクの小片に通した導線(注:図では、この導線は上から金属の支柱に吊るしてある)を、やはり垂直に水銀に浮かべる(魚釣りの「浮き」が水面に浮かんでいるような状態をイメージすればよいかと思う)。水銀面の上に出ている導線の上端は、容器の上方にかぶせたカップ状の金属に接触させる。

 こうしておいて、金属と水銀をそれぞれ、電池の両極につなぐと、導線には電流が流れることになる。そして、電流を切らない限り、導線は垂直から少し傾いた姿勢(上図の右側の状態)で、磁石のまわりを回りつづけたのである。また、コルクの位置を磁石から遠ざけると、導線の描く円の直径はそれだけ大きくなり、動きはゆっくりになる傾向が示された。


 (上図の左側)さらに、その年の十二月、今度は、電流を通した導線のまわりに磁石(注:図では斜めになった丸棒状磁石)を回転させる実験にも成功している。玩具のような装置ではあったが、ともかく、電気と磁気のエネルギーが、運動(機械的な仕事)へ変換されるという、重要な発見がここに成し遂げられたのである。

 実験に成功したとき、ファラデーは屋根裏で夕食の仕度をしていた妻のサラを呼び、二人で回転をつづける磁石の運動に見入ったという(こういう場合、仕事場と住まいが同じ建物の中にあるのは、なんとも便利である)。

 物理学そのものはよくわからなくても、夫の興奮ぶりから、それがただならぬ事態であることは、サラにも感じ取れたものと思われる。新婚の二人が迎えた、初めてのクリスマスの晩の出来事であった。

 

 

 1821612日、王立研究所で研究するファラデーは、その研究所の屋根裏部屋で、サラとの結婚生活を始めていたのです。

 

更に、ここでの小山氏の記述で、頭の中に刻み込んでほしいのは「電流を切らない限り、導線は垂直から少し傾いた姿勢で、磁石のまわりを回りつづけた」と「二人で回転をつづける磁石の運動に見入った」の2点です。

換言すれば、「電流の磁石に対する影響は、連続的であった」と言う事実です。

 

 

 ここで又、小山氏の著作からの引用に戻ります。

 

 電磁誘導の発見

 さて、話をファラデーに戻すと、1821829日、彼はついに電磁誘導の発見へとつながる現象を見出した。その日の実験日誌にファラデーは、こう書き記している。       

 半円形の軟鉄を二つ接合して環(リング)をつくり、それぞれの軟鉄に絶縁した鋼線をコイル状に巻きつける。一方の鋼線の両端は検流計に、片方の銅線の両端は電池に接続する。こうして後者に電流を流すと、その瞬間、前者につながれた検流計の針が振れた──つまり、電流が発生した──のである。また、電池と鋼線の接続を切った瞬間にも、検流計の針が今度は反対方向に振れた一方のコイルに流れていた電流が止まる瞬間、片方のコイルに電流が誘導されたわけである。

 
 こうした実験に取りかかった動機について、ファラデーはこう書いている。

 

 すべての電流には必ずその流れに対して直角に、相応した強さの磁気作用を伴うものであるにもかかわらず、電気の良導体をこの作用圏内においても、その中に何らの電流も誘起されないし、またこのような電流に相当する効果が少しも感知されないということは、はなはだ異様なことに思われた

 

 ここで、先に頭の中に刻み込んで頂いた「電流の磁石に対する影響は、連続的であった」との事実を思い起こして頂けましたら、ファラデーが「はなはだ異様なことに思われた」点が納得できるのです。

それでも、何とか新たな解決の糸口をファラデーは探ったのです。

 

 

このような結果を考えること、すなわち通常の磁気から電気を得ようと期待することが、電流の感応効果の実験的研究に対して種々の場合に私を励ましたのであった。(『電気実験(上)』内田老鶴圃)

 

エールステッドは、電流が磁気作用を示すことを発見した。そうなると、反対の効果、つまりなんらかの磁気作用によって、電流が誘導されるのではないかと、ファラデーは考えたわけである。

ところが、引用文の前半にあるように、電流──これは周囲に磁気作用を及ぼす── の周辺に針金を置いても、そこに電流は生じない。どこか変だと感じたファラデーは、おそらく、いろいろと試行錯誤を繰り返したのであろう。その結果、二組のコイルを用いた実験で、電流の誘導に成功したのである。

ただし、いま述べたとおり、コイルに電流が流れるのは、もう一方のコイルの電流が変化するほんの一瞬だけであった電流の発生は持続しないわけである。この結果は、ファラデーにとってかなり意外であったようである

 

 

やはり、この結果はファラデーには意外であったのであり、今もファラデーが存命して居られれば、この意外性の原因を探求していたと私は確信しています。

 

ファラデーは、先ずは、電流を流す1本の導線と、それを感受する1本の銅線を平行にならべて実験し、何の変化も感知できなかったのでしょう。

 

そこで、先の小山氏の「環状の回路に電流が流れると、それは磁石と完全に等価の作用を示すことも明らかにされた。換言すれば、磁気は電気に置き換えられるわけである〈これは後に、ファラデーが電磁誘導を発見するひとつの布石となった)。」との記述にあるように、ファラデーは「半円形の軟鉄を二つ接合して環(リング)をつくり、それぞれの軟鉄に絶縁した鋼線をコイル状に巻きつけ」電流を流す一方の電線が他方の電線に影響を及ぼす磁気の強さを増大すれば、他方の電線に電流が発生してしかるべきと思って実験したのです。

このファラデーの推論は正しかったのです。

でも、残念な事にファラデーの時代の測定機では、この不思議な現象の正体を解明する事が出来なかったのです

今ファラデーが御存命なら、その原因を解明されたでしょう

何しろ、不肖、私が解明できたのですから!そしてその詳細は『コロンブスの電磁気学』又、それに続く『コロンブスの電磁気学』増補改訂版に記述しました。

この件は、次の拙文に譲りますが、その概要は、拙文≪『コロンブスの電磁気学』の概略≫の「8 ファラデーの誤解」をご参照下されば直ぐに御納得頂けると存じます)

 

 

ところが、小山氏は次のように記述を続けられます。

 

 

しかし、意外であると感じられる部分に電磁誘導の鍵があった。電池につないだコイルの電流が変化するとき、つまり、電流の周囲に生じた磁気作用が変化するときにのみ、誘導電流が発生するわけである。定常電流をいくら流しても、探し求める効果は現われないことになる。

ファラデーはこの一瞬の現象を、軟鉄の環に二組のコイルを巻きつけるという工夫によって、みごとに検出したのである。

(この件に関しては、文末の(補足:2 トランスの原理)をご参照ください)

 

 

そして、小山氏が力説される「電磁誘導」の式が数式的に導かれると、ゲーテの箴言ではありませんが、私達は、この式に安住して、ファラデーが当初抱いたであろう疑問に立ち戻ることを放棄してしまうのです

 

ファラデーの電磁誘導の法則は、次のように示される(フリー百科事典ウィキペディア参照)。

コイルの誘導起電力V

 

ただし、Nは巻数で、ΔΦ/Δtは微小時間Δtでのコイルを貫く磁束の変化である

 

 

この事を踏まえて、先の「「ゲーテの箴言」並び、その箴言に対する小山氏の解釈(例えば「時代のこの段階では、数学なんか知らなくても、ファラデーのような天才が活躍する余地は十分にあったのである」に対して私は、異議を唱えるのです。
この式に、ファラデーに続く人達が安住してしまわなかったら、ファラデーの疑問を真摯に受け止め続けていたら、次の拙文≪敬愛するマイケル・ファラデー(3) ファラデーの無念を現在の測定器で晴らす≫に解説しますが、今の時代に於いても、数式を用いずに、実験する事で、ファラデーの疑問を説く事が出来、更には、新たな「電磁誘導説」即ち、「縦列接合説」を提起できるのですから!

 

 

 

 

(補足:1 アインシュタインも誤解する)

 

 更に、補足として、又、小山氏の記述を引用させて頂きます。

 

 

つづいてファラデーは、十月十七日、磁石を用いても同様の現象がみられることを証明している。らせん状に巻いたコイルの中に棒磁石を差し込んだり、逆に、引き抜くと、やはりその瞬間、コイルにつないだ検流計の針が振れた。磁石とコイルの相対運動によって、電流が誘導されたのである。

これは、まさに正真正銘、磁気作用から電流をつくり出したことになる。こうして、ファラデーの予想した電気と磁気の相互変換性が実証されたのである

 

 

 ここでの「こうして、ファラデーの予想した電気と磁気の相互変換性が実証されたのである」との小山氏の記述は、次に紹介されるアインシュタインの見解同様に誤解なのです。

(その誤解の根拠は、次の引用文の後に示します)

 

 

 更なる引用は次の点です。

 

 

一九〇五年、アインシュタインは、相対性理論に関する最初の論文「運動物体の電気力学」を、こう書き始めている(引用は『物理学古典論文叢書4・相対論』東海大学出版会)。

 

 現在、普通理解されているような、マクスウェルの電気力学が運動物体に適用されるとき、現象に含まれるとは思えない非対称性が現われることはよく知られている。(傍点は引用者)

 

アインシュタインの言う「非対称性」とは、次のような問題である。

例として、ファラデーが発見した電磁誘導を考えてみる。このとき、1)導体(コイル)が静止し、磁石が運動するとみなす場合と、逆に、(2)磁石が静止し、導体が運動するとみなす場合では、同じ現象(電流の誘導)にもかかわらず、その説明に違いが生じてくるというのである。

1)では、磁場の変化によって電場が発生し、その電場の影響で導体に電流が誘導されると解釈できる。一方、2)では、電場は発生しないが、導体内の電子にローレンツ力が働き、電流が流れると解釈される。

 相対運動だけに依存する現象でありながら、運動の捉え方(1)と(2) によって、説明にこうした違い──これを、アインシュタインは「非対称性」と呼んだ──が見られるのは、たしかに言われてみれば、奇妙な話である。

 

 

 先の小山氏の記述「磁石とコイルの相対運動によって、電流が誘導されたのである」の記述は正しく、あくまでも、「磁石とコイルの相対運動」が、導体表面に磁界の変化を提供し、その結果導体に電流が発生するのです。

導体がコイル状になっている必要はないのです。

『コロンブスの電磁気学』増補改訂版の概略の「7 コンデンサもコイルも縦列接合された伝送路」をご覧頂くとすぐお分かり頂けますように、コイルとは単なる導体の集合体(伝送路)の一種でしかないのですから、更には
、私のホームページ≪『コロンブスの電磁気学』の概略≫の「10 新しい発電原理 」の記述をご参照ください。

 

 

従来の発電の原理も「ファラデーの電磁誘導式」に準拠しているのですから、破棄して新しい理論を打ち立てなくてはなりません。

  ・・・

 発電はコイルを磁石の前で回転させず、1枚の金属板を回転するだけで可能である事が分かるのです。

 又、逆に、1枚の金属板の前で磁石を回転させても発電可能なのです。

 

  即ち、金属板の前の磁石の相対的な動きは、磁界の変化であり、その磁界の変化は電界の変化を誘起し、電磁波を発生したことになります。

 

  この電磁波によって、金属板が電磁波キャッチボールを行うこと、即ち、金属板に電流が流れること(発電)となるのです。

・・・

 

 この件は、自著『『コロンブスの電磁気学』増補改訂版』を御高覧頂きたいのですが、その一部を此処に抜粋いたしますので、磁石とコイル(導体)の相対的な動きの等価性を御納得下さい。

 

『コロンブスの電磁気学』増補改訂版』の「15章 第4項 導体と磁石の回転の等価性」の一部

 

 次の「写真:1」のように、導体(幅:2mm、長さ:50mmの銅箔)を貼り付けた内部円筒(径:38mm、長さ:50mm)と、磁石を固定した外部円筒(径:98mm、長さ:56mm)を2つのモーターで別々に回転させ、磁石の前を導体が移動した場合と、導体の前(最短距離は約2mm)を磁石が移動した場合との発電結果が同じであることを実証します。

 先ずは、磁石を回転させる円筒に一つの磁石(N極を内側に向けて)を取り付け、磁石側の円筒、又、銅箔側の円筒を個別に、導体のプラス側電極から見て、時計回りに回転させ、銅箔部に発生する電流をオシロスコープに導き観測しました。

尚、一方の円筒が回転している際には他方の円筒は静止状態(その静止の位置は、銅箔、磁石双方の場合とも12時の位置)とし、且つ、その位置に光センサーを設置しました。

又、各円筒の回転位置は、それらの円筒の銅箔部、磁石部に相当する位置に、光遮断板を設置し、その位置を光センサーで検出しました

 

 

 この結果を見ますと、磁石側を回転させた場合には、磁石部が銅箔前(12時の位置)を通過する際に銅箔部に発電現象(プラス電圧)が発生していることが判ります。

又、銅箔側を回転された場合には、磁石部位置(12時の位置)で、先と正負対称的な発電現象(マイナス電圧)が発生していることが判ります。

 

 この結果から、導体(銅箔)に対して磁石を回転させようが、磁石に対して導体(銅箔)を回転させようが同様な発電現象が発生することが判ります。

但し、発電電圧が正負対称的なのは、「写真:1」の実験装置で、磁石を回転させた場合と導体を回転させた場合では、導体面を移動する磁界の方向が対称的な方向となるためであります。

 

 更に、≪『コロンブスの電磁気学』増補改訂版の概略の「13 新たな発電理論の確立」も併せてご参照ください。

何しろ、

コイルではない銅板の円筒を磁石の前で回転する事で、何と直流の電流も発電可能となる事を実験で確認しているのですから!

 

 これらの点を理解すれば、アインシュタインの「非対称性」の認識は奇妙でも何ともなく、誤解である事がはっきりします。

 

 

(補足:2 トランスの原理)

 

 先の小山氏の記述に於ける「ファラデーによる軟鉄の環に二組のコイルを巻きつけるという工夫で、一方のコイルの電流をオンオフするごとに、他方のコイルに電流が流れる現象」(即ち、電磁誘導現象)は、現在トランスの原理として信じられています。

 

 しかし、拙文≪『コロンブスの電磁気学』の概略≫の「9 新たなトランス理論の確立」に於ける「1KHzのクロック信号」(一定電圧部分)でも、トランスから出力されているのですから、(この件の測定結果を次に再掲します)

9 新たなトランス理論の確立」の測定結果の再掲
最下段が1KHzの場合


この点からも従来の電磁誘導説は見直されねばならないのです。

この件も併せて、以下は又次の拙文≪敬愛するマイケル・ファラデー(3 ファラデーの無念を現在の測定器で晴らす≫に続けさせて頂きます。

 

 

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